週刊アイについて

アイドルマスターやその他諸々

キャラクター理解のいろは

アイマスのオタクは一生できる気がしている。

菊地真のことを考え出したら人生残り80年くらいなんて短すぎると思うからだ。

毎日欠かさず考えているわけではない、人生には何かといろいろな事があるので。

でも、ふとした時に具体的なシチュエーションに真を置いて、想像して、真の片鱗を掴もうとするのだ。オタクってみんなそうでしょ?

 

 

せっかくなので私が思いつくたびに書き込んでいる超絶気持ち悪い菊地真メモから抜粋してこちらにも書く。

・真の初恋は多分9歳くらい。幼馴染みの男の子とはまた違う男の子。自覚はなく、大人になってからあれは初恋だったな〜とか思うタイプのもの

・使う携帯は多分黒いAndroid。アイドル活動はじめる時にさすがに持たせておこうということになり親のキャリアと同じプランで入っている。スマホカバーは普通のiFace。「待ち受けを変える」という行為の女の子らしさに憧れて変えてみるけど実はあまりしっくりきてない(けど慣れたのでずっと同じ待ち受けにしてる)

・真に一方的に片想いしてる女子校一個下の後輩(茶道部)は真を想いながらaikoの"KissHug"を聴きながら時々泣いている

 

 

 

こんな感じだ。

だから私はアイドル菊地真のプロデューサーではない、と自分の中で言い聞かせている。ただのオタクでいたい理由は、こういうところにある。だってプロデューサーがこんなに気持ち悪かったら真が可哀想じゃないか。

 

 

高校の授業の中で、「抽象のはしごを降りる」という授業があった。抽象と具体をスムーズに行き来させることで概念を理解しようという授業だったと思う。私は抽象的な議論を友人とお酒を飲みながらするのがとても好きだが、この授業の影響を多分に受けていると思っている。

 

そして、オタク活動というのは往々にしてこの抽象⇄具体の運動なのではないかと考えている。現代文の先生に聞かれたら顔を顰められるだろうが。

 

 

まずキャラクターを好きになる。

そしてさまざまなインプットを自分の中で消化し、抽象的な「キャラクター像」が自分の中で出来上がっていく。

その「キャラクター像」の解析度を上げるため、他のシチュエーションの供給を探したり、もしくは自分の想像でキャラクターをより理解しようとする。

 

この流れこそ、抽象と具体の行き来であり、キャラクター理解の本質であると私は思う。何度も何度もそれを繰り返すことにより自分の中でそのキャラクター像が確立していく。

それは時として新しく供給された公式のキャラクターの「具体」と乖離をし、いわゆる『解釈違い』になったりする。悲しい定めだ!