週刊アイについて

アイドルマスターやその他諸々

大人ということ

_____「去年今年貫く棒の如きもの」。

一昨日、成人式に出席した。もっとも区の主催するものではなく、中高の同窓会の延長のような会合だ。華やかに着物をまとい、普段より少しだけ派手に化粧をした同級生と写真を撮り、地方の大学に進学をした友人の近況を聞いたりした。

二十歳の誕生日も、自分が主役の成人の日も、思えば昔夢想していたほど普段とかけ離れたものでもなく、ただの日常の延長の節目であるのだなとぼんやりと思った。拍子抜けするほどでもなく、ただ「そうだったのだな」と思うのだ。これは成長をしたということなのだろうか。よくわからない。

 

小中学生の頃はただただ早く大人になりたいと思った。高校の頃は永遠に子供のまま責任を放棄していたいと願った。今はどうだろう。ぼんやりと時が流れて行くのを遠くから眺めている。虚子が同じ気持ちだったのかはわからないが。淡々と「棒のように」流れる時間を受け入れられるようになったのかもしれない。

 

昔から感受性が強い子だね、と言われて育った。他人の言葉に影響もよくされるし、それに共感したり深く傷ついたりもする。抱く感慨も感受性の尖りもなくなったら、自分が自分でなくなってしまうだろうか。10年後の私は今の私の気持ちを理解できるだろうか。しかし私は未来に絶望しているわけではないのだ。未来の私もまた私であり、今の私は未来には存在しないのだから。